DIALOGUE

対談シリーズ〈未来はいいから希望を語れ〉
Vol.1 若林恵 × 若林恵

未来は
テクノロジーのためにある、
からの脱却

『さよなら未来』の著者・若林恵が、
本にこめた思いを、
赤裸々に綴った、
最新自作自演インタビュー。

TEXT BY KEI WAKABAYASHI
ILLUSTRATION BY NATSUJIKEI MIYAZAKI

2018.04.19 THU

──この度は出版おめでとうございます。どんな感じですか?

そうですねえ。実感湧かないですねえ。

──岩波ですよ。

ね。びっくり。親が泣いて喜びます(笑

──自分としてはあまり嬉しくないですか?

いやいや、もちろん嬉しいですよ。人文の出版社から出せるのが嬉しいですね。ほら、イノヴェイション界隈の人だと思われてるので、ビジネス書の版元あたりから出版されるのが順当ではあると思うんですけど、まずは、そうでないところから、これを出せたのは嬉しいです。もともとは詩集の編集をやりたくて入った業界ですから(笑、そういうところに近いところに自分の本が置かれるなんていうのは、想定外の身にあまる光栄、としか言いようがないです。

──意外といえば意外ですもんね。岩波が?」って。

そうすねえ。だから自分としては、ほんとにこんな本で大丈夫なのか?」って思ったりもするんですけど、そこは会社の判断として「やりましょう」ってことになったはずなので、まあ、みっともなくないことにはならないようにしたいとは思うんですが。とはいえもうすでに書いちゃったものを集めた本なので、大して手の打ちようもない(笑。担当編集者が「面白い」というのだから、それを信じるしかない。まな板の鯉。

──一言でいうと、なんの本なんですか。

それが難問(笑。なんの本なんですかね……自分ではよくわからないです。2010年から2017年の間にさまざまなメディアで書いた文章を集めたもので、その間って、デジタルテクノロジーサイドで起きたことで言うと、ちょうどiPadが出たあたりから始まって、震災を契機にSNSが盛り上がったりして、その後メイカーズ・ムーブメントなどが叫ばれ、その間、AIがみるみるうちに進化して、一方でブロックチェーンが話題になって、で、そのうちブレグジットとかトランプの話になって、フェイスブックはボコボコに、というようなことが起きた約7年間で、本としては、ざっくりそういう時代の証言ってことになるのかな、と思ったりはします。

──まあ、なんだかあれですよね。そう言われて振り返ってみると、結局たいして何も生まなかった時代だったんじゃないか、って気がちょっとしますね(笑

そうなんですよ、ほんとに(泣激動の時代の証言!」って謳うほどのことは実際何もなくて「テクノロジーが世界を変えるんだ!」っていう勇ましい掛け声が、なんとなくどんどん尻すぼみになっていくのを目の当たりにしてきたというような感じを見てきたって感じが、いまは強いですね。そもそも2011年に震災があって、わりと根源的なところから、人とテクノロジーの関係を見直さなきゃいけないなんじゃないか」って機運が高まっていたにも関わらず、その一方で、テクノロジーが新しい未来がつくる」みたいなことをみんなして一生懸命議論してたわけですよ。それって根本的に話が揃わないじゃないですか。というかベクトルが完全に逆向き。なので、どうも最初から「テクノロジーがつくる未来」っていう議論の建てつけが自分にはよくわからなかったんですよね。それは、本に登場する一番最初の原稿から一貫して変わらないことかもしれません。

──時代順に文章が並べられてますけど、一番最初に書いたものは、2010年の年末ですよね。

ですね。で、一応、ほら、テックイノベーションとやらを題材とするメディアの仕事をその頃からはじめていたので、まあ、悪口ばかりを言っていてもしょうがないので、どうやったら、テクノロジーがもたらすイノベーションをポジティブなものとして語れるのかっていうのが、自分なりにはずっとテーマだったと思うんです。

──のわりには、あんましポジティブな文章多くない気がしますけど(笑

そうなのかなあ。結構苦労して、ポジティブなことを言おうとはしたんですけどねえ(苦笑

──いずれにせよ、テクノロジーがドライブする時代は、もう終わるんだろうっていうなかで、テクノロジーをどう位置付けるかというのはなかなかの難問ですよね。

未来とテクノロジー。これ、そもそもなんでセットになってるんだっけ?とか考えちゃうわけです。するとだんだん混乱してくるんですよね。未来」ってものがなんとなく自明のものとしてあって、そこに向かうためにテクノロジーは必要なんだっていうのが、おそらくは一般的な考え方だと思うんですけど、もしかしたら事態は逆かもしれなくて、テクノロジーっていうものの進展が先にあって、それを正当化するために「未来」っていう概念が必要になってるんじゃないか、とか、そういうことを考えちゃうんですよね。

──未来のためにテクノロジーがあるのではなく、テクノロジーのために未来がある、と。

特に20世紀っていうのは、科学技術が社会をつくりあげていくための協力なドライバーだったので、そうした環境においては、未来の約束」は科学技術が実現するものであるというのが当たり前になっていたわけですよね。でも、そういう時代は終わるんだろう、あるいは終わったほうがよさそうだというのが、一応、少なくとも日本では多くの人が、それこそ震災を契機に感じたはずのことで、それはそんなに間違った認識ではなかったと思うんですけどね。

──それも、なにやらすっかり忘れられた感ありますけど。

話が逸れるかもなんですが、原発の話で面白いのは、US版の『WIRED』って、その精神的な源流をたどると、基本的な発想は「原発推進」なんです。Whole Earth Catalog」やってたスチュワート・ブラントって、ずっと原発推進派だったりするんですよね。ビル・ゲイツもそうですし。で、彼らには、フクシマはさしたるインパクトを与えなかったっていうのはあるんですよ、実際。

──えー、そうなんですか。

そうなんですよ。もちろんいまの原発のあり方がいいとは言ってないんですけど。たしかブラントのアイデアは、都市の近くに小型の核融合炉を設置して、それで電力を都市なり町が自給自足する、というものだったはずで、それは例えば「自律分散」とか「自立共生」とかって、いわゆるパーソナルコンピューターをつくりあげることになった理念とは合致してるんです。ホール・アース的なツールとしての原発というわけです。ってなことを言うと西海岸っぽい思想に感化されてきた人って、ちょっとアイデンティティ崩壊しちゃうんですよね(笑

──なるほど。で、どうなんですか? それについては。

そこが難しいんですよね。技術そのものについては素人が論じるのは難しいところがありすぎるんですが、やっぱりテクノロジーは、それがどんなものであれ「それは誰の手のなかにあるのか?」っていうことがとても大事なんだと思うんです。ブラントの論点も、本質的には、たぶんそこなんです。いまのフェイスブックの問題と、そこは一緒ですよ。

──なるほど。

SNSって、別にそれ自体は悪いものじゃないはずなんです。役にたつコミュニケーションインフラであるのは間違いないんですし。でもそのインフラが生み出す利益を、結局ある一企業が独占しちゃってるわけですよね。本来的にはコモンズ的なものとしてあったはずの空間が、いつのまにか経済空間になっていて、しかもそこでただ一社だけが、うはうは儲けてる。さすがにそりゃないだろう、と。

──とはいえ、フェイスブックってハナから私企業じゃないすか、とも思いますけど。

まさにそうなんです。でも、最初はそうでもない顔をしてたんです。SNSは、あなた、つまるところ、国家権力ではなく、大企業でもない、名もない民衆に、力を与えるんですよって、そういう顔をしてたし、みんなが期待してたのもそこだったんです。それはみんなのもので、みんなをエンパワーするんだって。思い返せば、調達した資金を垂れ流しながら無料でユーザーを獲得してる段階では、そういう顔がたしかにできたんですよね。でも、それをどこかで収益ベースに乗せないといけないってなったときに、話が変わってきちゃった。

──アカウントの実名化と、広告モデルの導入ってあたりですかね。

そうですそうです。で、やっぱり自分もそこで正直だいぶがっかりしたんです、なんだ、広告モデルかよ」って。ダサっ!」って当時思ったのをよく覚えてます。

──ダサいですか。

だって、そのモデルがいかに業界をダメにしたかっていうのを、こっちは出版の世界で散々みてきたわけですから。広告モデルっていうのは、世の中が消費に向けてブンブン唸りをあげているときだけ、みんながハッピーになれるモデルなんですが、それが行き詰まってるのは、もうだいぶ前からわかってるわけじゃないですか。消費をしてもしてもたいしてハッピーにならないな」って。だし、それって基本マスメディアのモデルですよ。ソーシャルメディアって、マスメディアと違うものだから、それに対するカウンターになりうると期待されたわけじゃないですか。

──まあ、そうですよね。

フェイスブックとかユーチューブがどういうビジネスモデルでマネタイズするのかって、その時点まではすごく興味あったし、すごくアタマの切れる連中がやってることだから「おお!その手があったのか!」って膝を打つような新しいアイデアが出てくるものだと、ほんとは期待してたんですよ。

──それが、広告モデルかよ。と。

なーんだ」って。で、今となっては、もうすっかりこういう認識ですよ。これは、ザックの公聴会の前に「ニューヨークタイムズ」で、ティム・ウーって人が4月3日に書いたコラムですが、この10年でわれわれが何かを学んだとすれば、広告とデータ集積ビジネスは、信頼に足るソーシャル・メディア・ネットワークとは、まったく相容れないということだ。その対立はもはや抜き差しならないもので、データを集積し、それをもって広告主への約束に応えねばならないというプレッシャーはあまりに強力すぎて、それに抗うのは、たとえ良き意図をもったものであっても困難だ

──さよなら未来』にも収録されてる「ニーズに死を」って文章でも同じようなこと言ってましたよね。フェイクニュースってのは、現場の倫理感の問題なんかではなくて、構造的な問題だって。

で、それがメディアだけの問題かっていうと、あらゆる個人が、そのモデルのなかで、どんどん収奪されているっていうのが、いまの状況なんじゃないのかと思うんですよね。本当はマスメディアのカウンターとして個人をエンパワーするはずだったものが、逆に、個人をマスメディアのロジックのなかに巻き込んでいって、メディアに対してするのと同じように、個人の情報発信を骨抜きにしている、と。少なくとも自分が見てる景色はそうです。

──なるほど。

今年のSXSWでも同じような話は盛んにされていまして、SGDsをテーマにしたセッションに、インスタグラムを使って抑圧されたり虐げられたりしている人たちが、自分たちで情報を発信することができるように世界中で教育プログラムを展開しているジャーナリストが出てたんです。で、彼は「インターネットは小さくなっている」と言ってたんですよ。

──というと?

大きな問題を抱えた個人や集団にとってインスタを使った発信が意味あるのは、その状況を変えられる人にメッセージが届いたときであって、そこに関与しない遠い国の無関係なフォロワーの「いいね!」が増えたところでもなんの意味がないってことなんです。インターネットの分散性・P2P性っていうのは、それが必ずしも空間的なものである必要はないにせよ、ローカル性や局所性において威力を発揮するものだったわけじゃないですか。それがマスメディアにはできない強みだったわけですよね。なので、グローバルマスを対象とした数字のゲームとしてではなく、ソーシャルなネットワークがもっているP2P性をもう一回健全なかたちで使い直そうと。インターネットは小さくなっている」というのは、そう言う意味なんです。

──なんだか、当たり前の話といえば当たり前の話ですね。

その当たり前の話を、いつの間にかみんなが見失ってたんですよ、情けないことに。なもんで、その反省を踏まえてもう一回、ちゃんと考えようということなんだと思います。もっとも欧州なんかでは、データに関わる個人の権利みたいな話は、ずっと議論はしてきていて、グーグルやフェイスブックをどう封じ込めるか、その機会を虎視眈々と狙っていたわけです。

──EUで、この5月に施行される「GDPR一般データ保護則」ですね。

オンライン上でやりとりされた個人データは一体誰のものなのかっていうのが、ひとつ大きな問いとして、未解決のまま、ずっとあるわけですよね。理念上は、やっぱり「その人、本人のものでしょ」というのがEUの目指す方向性ですが、インターネット上で、その権利をどう定義し、いかに安全なものとして確立するのかというのは、ようやく本当の意味で議論がはじまるんだと思います。セキュリティや認証といった技術的な問題が、そこではようやく重大な論点となって浮上するわけですが、その技術を、国家や独占的な私企業ではなく、願わくばより中立的なところで管理するのであれば、そこでもやっぱり、誰が主体となって、どうやってそれを管理するのかというのは大きな問題なんだと思います。

──誰が主体になるんですかね。

望ましいのは、ざっくり、市民とかコミニティがそれを担うということなんだとは思いますけど、それが具体的にどういうやり方で可能なのかは、まだよくわからないですよね。基本は行政が主体となるんだろうとは思いますが、それもいままでのありようのままだと機能しないと思うので、それこそ民間と市民と一体になってやるような座組みが望まれるんだと思います。

──そういうのをブロックチェーンがなんとかしてくれるんじゃないんですか?

っていうのは当然期待値としてはあるんですが、先日エストニアに行ったら「パブリック・ブロックチェーンなんていうのは、理想主義者の絵空事だ」なんて言う人もいましたので、もちろん技術革新は必要なのですが、その技術が、社会に対して本当に望ましいものであるのかどうかという点に関しては、もう少し慎重に見て行かないといけないんじゃないよねって、世界的には、そういう気配が強い感じがします。

──なんか、放っておくと、技術的にできることはやってもいい、いや、やるべきだっていう感じで、どんどん進んじゃいますからね。

そうなんですよね。そこで、冒頭の話に戻るんだと思うんですけど、技術のために「未来」があるって、まさにそういう事態のことを言ってるんです。科学技術が革新されるままに、それに乗っかっていけば、そこに素敵な未来世界が待ってるって、そもそもおかしな話じゃないですか。

──新しいテクノロジーを導入すれば、新しい社会が拓けて、新しいマーケットが拓けるという、そういう考え方は、日本では相変わらず根強いですね。

いい加減うんざりしちゃいますよね。科学技術の進化はそれ自体が善であるっていう幻想を、日本はわりといまでも根強くもっていて、それは、この7年間、いやというほど目の当たりにしたんですが、その志向って、日本が開国した際に身につけちゃったバイアスで、それが実に150年間更新されずにきたものだっていうことが、山本義隆先生の新刊『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書)というものものしいタイトルの本のなかに詳細に語られていて、その根深さにクラクラしちゃったんです。ついこの間も、ある大企業の方が「わたしたちの業界は、創業以来、初めて『ビジネス』をしなくてはならない局面に立っている」っておっしゃってたんですけど、それくらい根深い。

──それなんの業界ですか?

それは伏せておきますけど、それが半ば自戒を込めたことばではあるにしたって、やっぱり半分は本当なんだと思うんです。ほとんどすべての産業が技術革新ばかりをあてにして来たばかりに、人やそこで人が生きる社会にちゃんと向き合って来なかった社会なんですよ、たぶん日本って。で、そこからいよいよ、本当に待ったなしで脱却しなきゃならないという段に来てるんだと思うんですが、じゃあどうするのかって考える手立てもないんですよね。

──ほんとに、どうしたらいいんですか? その答えが『さよなら未来』にはある?

いや、ないと思います(笑

──じゃあ、一体誰が、どういうモチベーションで読んだらいい本なんですか?

うーん。尊敬する橋本治先生の本に、その未来はどうなの?』っていう割とライトな新書があるんですが、そこで橋本先生は、未来」はもはや本当にわからないものになっちゃった、なぜなら、未来を予測するための理論が通用しない世界になっちゃったからだっておっしゃってまして、で、その上でどういうことをやるかというと、まず「〇〇の未来ってどうなの?」っていう問いを立ててみるわけです。

──ほお。で?

で、それはわからない」って答えを一回出しちゃうんですね。

──あはは。で?

で、そこから、それはたしかにわからないんだけど、その〇〇について、まったく全部がわからないわけでもない」って考えてみて、その「わかっていること」から考えていこう、と、まあ、そういう手続きをするんです。

──それって効果あるんですか?

っていうよりはそういうふうにしか、もはや物事は考えられなくなっているってことなんですよ。で、そこで大事なのは、未来はわからない」っていうことをちゃんと受け入れることなんです。諦めるわけですよ。さよなら、と。

──なるほど。で、さよなら未来」なわけですね。

そこから考えるしかないんだと本当に思いますもん。自分が7年かけてやっとこさ言えたことを、橋本先生が2012年刊行の本で書かれているのは、だいぶバツ悪い話なんですが(笑。なので、さよなら未来』がどういう本かと言われたら、未来はわからないっていう前提に立った上で、でも、これははっきりしてるんじゃないか」って、自分なりに思うところを述べた本っていうことになるんじゃないかと思うんです。

──いまにして、自分の書いたものを振り返ってみてどうですか?

うーん。そうですねえ。ずっと同じようなことを思って、それをお題を変えながら言ってるだけのようにも思うので、ずっと、不貞腐れてとぐろ巻いてるだけだなーって、思ったりはしますね。

──でも、状況が変わりますよね。

いやあ、本当に、それはそうですね。今年の1月に、ベルリン在住のメディア美学者の武邑光裕先生にお会いしたときに、いやあ、もうインターネットは大変なことになってますよ」っておっしゃってて、ダボス会議で「フェイスブックやグーグルに残された時間はもはや長くない」なんてことが語られていたなんていうお話を聞いたんですが、いや、さすがにそりゃないっしょ」ってぼくですら半信半疑だったわけですが、それが数カ月で、こんなありさまですから。

──驚きますよね。

アメリカでは、もう「フェイスブックを修復するかではない。いかに取り替えるかが問題だ」とまで語られるわけですから、ほんとうに何が起こるのか、まるで予測つかないです。なので、新奇に釣られて下手に右往左往しない方がいいんだと思いますね。それよりも、なにが確実にわかっていることなのか、それをじっと後生大事に離さず持ってないと、すぐに「未来」の方に流されちゃうんだと思うんです。

──さっきの引用に寄せて言うと、未来」って、ちょっと広告に似てるかもしれないですね。何というか、その抗えない誘惑みたいなところが、ですけど。

ああ、なるほど。そうとも言えるかもしれない。それは、たしかに面白い。

──にしても、確実にわかっていることって、何でしょう。

何でしょうね。言い換えると「これは希望だ」って思えるものかもしれないです。こういうものには希望を感じる、っていうものを探して、それを軸にやるべきことを考えるって、それはそこまで極端に難解なことではないとは思うんですけどね。ただしそれは具体的なものやことでないとダメなんじゃないか、って気はするんです。若い人こそ希望だ」って言われても、それ誰のことだよっていう(笑

──未来はいいから希望を語れ、と。いいですね。つい先日も、どなたかとの対談で「希望」の話されてましたね。

ああ、そうですそうです。まさに未来はいいから希望を語れ、です。

──この本が、読者にとってのそういう「希望」のちょっとしたよすがになるといいですよね。

いやあ、どうだろう。自分からはさすがに、そうですね、とは言いづらい(笑。そうなるといいなとは内心思ってはいますけど、どうなんでしょうね。どう読まれるのか、結構ね、ほんと緊張します。

2018. 4. 16)