BEHIND THE SCENE

ぼくあたし」との4か月

栗原康
『村に火をつけ、白痴になれ ──伊藤野枝伝
宇野維正『小沢健二の帰還』なとで、
名門・岩波書店に新風を吹き込む
異端編集者・渡部朝香は、
なぜ、さよなら未来』をつくろうと思ったのか?
そしてそれは結局いったいなにについての、
どういう本なのか?
編集作業の舞台裏とともに、明かす。

TEXT BY TOMOKA WATANABE
ILLUSTRATION BY NATSUJIKEI MIYAZAKI

2018.04.19 THU

後追いファンの告白

出会いは不思議だ。一つの出会いにより、それまで点と点だと思っていたものが結びつき、新しい景色をなしたりする。不思議? 不思議じゃないわよ。そこにあるのものを、つかまえられるかどうかだけ」そう、尊敬する写真家が言ってたっけ。たしかに、ある出会いを特別と思い、その対象に影響を受けるのは、自分が求めていたなにかを相手のなかに発見するからだ。そこには無意識の準備期間がある。

2017年1月3日にwired.jpに発表された「ニーズ』に死を」を目にして思ったのは、わたしの読みたかった言葉がここにある、ということだった。書いているのは、Kei WakabayashiWIRED』の編集長だと知り、その人の文章をネット上に探しては、貪り読んだ。うっわ!どれもこれも、おもしろい!(長年の『WIRED』ファンからの「おせーよ」という声が聞こえそう……。興奮気味に、まあたらしい手帳の最初の頁を開き、いずれ仕事をしてみたい人として「若林恵」の名を記した。

さりとて、WIRED』読者ではなかった自分が若林編集長にどんな依頼ができるというのか。具体的な一歩を踏み出せないまま、時間はすぎていくばかり。時間が経てば経つほど、こんな凄い書き手、もう著書の一つや二つ、話が進んでいるのだろうな、と思えてきて、腰はますます重くなる。

ようやく思いきることができたのは、WIRED』編集部から『思想』編集部に連絡があったと聞きつけたときのこと。両誌が、ほぼ機を同じくしてアフリカ特集を組んだことがきっかけだった。いま、本を作らせてもらいたいと伝えておかないと、たぶん後悔する、そう思った。思想』の吉川編集長に連絡先を教えてもらい、若林編集長に会う約束をとりつけたときには、秋もだいぶ深まっていた。

いい感じに悪い人

書かれた言葉が好きであればあるほど、それを書いた本人に会うのはこわい。でも、わたしは書籍の編集者というパスポートを持ってして、書く人に会いたいと連絡することができる。読者としては、生身の書き手ではなく、ただそこにある言葉に向きあうことが、もっとも本質的な体験のはずだ。そこから逸脱するという毒を飲んで、いろんなイメージがまとわりついている岩波書店の看板を背負って、書き手に会いにいく。それもこれも、これまでにない本ができるかもしれないという、仕事」への欲深な思いゆえだ。

指定された表参道の喫茶店に向かい、すでに店にいた若林さんに挨拶すると、パソコンのモニターに目を落としたまま顔をあげず、ん。」と返事をされた。そして、しばらくの沈黙──「新卒から、ずっと岩波なの? 飽きない?」その、ちょっと意地悪でぞんざいな最初の一言に、ああ、この人、いい感じに悪い人で、だから、ちゃんといい人だ、と、気持ちが緩んだ。

それからの雑多なおしゃべりは、西郷信綱の「自」と「他」の捉え方、これから特集したい「発注」というテーマ、紙の出版の可能性、等々。様子見されているだろう緊張を感じながら、聞き逃すまいと神経を尖らせながら、世界の大きな課題に対峙している人の言葉に胸が高鳴った。

雑誌編集で積み重ねた膨大な社交経験や、人から学びたい/語りながら思考を深めたいという対話への希求がありながらも、本質的にはとてもナイーブで人見知りなことも察せられ、書かれた文章と目の前にいる人が重なっていったことも幸せだった。

既存の原稿からなる本を編むことを提案し、わかった、任せるよ」という言葉をもらえたときには、すでに2時間近くが経っていたかと思う。そう、それが『さよなら未来』のはじまりだった。

それから一か月ほどして、若林さんから連絡があった。『WIRED』編集長を退任するという。でも、この本の大勢に影響はなかった。むしろ、若林さんの新しいスタートを飾る本という重要な意味が加わった。先を急ぐしかない。書籍を約4か月でつくりあげるのは、なかなかの突貫工事で、年明けからは、めまぐるしい編集作業が続いた。

編集作業といっても、書籍の編集者がテレビでいうディレクターとプロデューサーの両方の役割を担っているとすれば、わたしはせいぜい、組織との仲介、進行管理といった、駆け出しのプロデューサーのような仕事をしたにすぎない。書名、構成、ブックデザインも含め、ディレクションは若林さんに負っている。

そういえば、任せるよ」と言われたのに、結局、ありとあらゆることを若林さんに引き受けてもらってしまったではないか! この『さよなら未来』は、文筆家・若林恵、初の著作にして、編集者・若林恵の仕事の一つとして記憶されるべき本だろう。

一冊の本ができるまでには、地味で地道な作業の積み重ねがある。そのプロセスで、これまで以上に自分のふがいなさに直面しながらも、腕利きの書き手/編み手に伴走した経験は、わたしにとってかけがえのないものになった(その傍らで、会社設立までしでかすのだから、この人は、ばけものじみている……

なつかしさと未来

最初に会ったときから、わたしは若林さんに、若林さんの文章には『人文知』への尊敬が貫かれ、勇気』の大切さを説いていますよね」と話していた。それは、人文知をコンパスに、勇気を胸に」という帯の言葉として残っている。

岩波書店という人文書の歴史を持つ出版社から若林さんの本を出させてもらうことは、ありがたいことでこそあれ、まったく違和感はなかった。岩波書店らしさと新しさが融合した本、テクノロジーやビジネスを語っていても、ビジネス書ではなく、新しい人文書になる確信があった。

なのに、編集作業が進むにつれて、この本は人文書にも収まりきらないと思うようになった。
この本、甘くはないけど、ノスタルジーがありますよね。なつかしくて、さびしい感じ」
そうだね。サウダージ」
校正ゲラをめくりながら、そんな会話をしていたころには、この本の言葉は、人文学というより、むしろ文学の言葉だと思うようになっていた。

何度も原稿を読むうちに、好奇心に目を輝かせ、世界への畏れを抱きながら、自分を奮い立たせて一人未来に向かって立っている少年、ぼく」を感じていた。少年の心は希望へとつながっている。

その「ぼく」は、若林恵が書く文章の世界の登場人物で、それはおそらく、若林恵という人そのままではない。けれど、若林恵という人の真実が、実際に会って話す以上に、そこにあると感じる。

一方、若林さんが折々メールで使う一人称は、あたし」だ。俺」も「僕」も「私」も、きっと、若林さんにはしっくりこないのだろう。恥ずかしいのだろう。この「あたし」にも、若林恵という人の真実があると感じる。

言葉は嘘をつくけれど、その隙間から、ほんとうのなにかを見せてくれるから、おもしろい。

ぼく」/「あたし」の「若林恵」と走り抜けた4か月を経て思うのは、若いころの若林さんは、もっとひりひりしていたんじゃないかということだ。もしかして「俺」だったんじゃないだろうか。そのころ、一緒に組んで仕事ができただろうか。その鋭さや繊細さに気後れしてしまったんじゃないだろうか。

これまでの自身の仕事を踏まえ、編集という仕事の可能性を多くに人に知ってほしい、多くの人によい仕事をしてほしいと願う、教育者としての顔ももつ「おっさん」になった若林恵に、ちょっとやそっとじゃ動じず、ぞんざいな口ぶりもキュートと感じられる「おばさん」となって出会えたことを、幸いに思う。

こじらせていた青年期を超えて「おっさん」おばさん」になったからこそ、自分のなかにいる少年や少女をたいせつにできたりもするのだ。

最初に会ったとき、わたしが、本には世界をいまよりましにできる可能性があると思ってやっています」と口にしたら、笑うでもなく真面目に、そうだよね」と言った若林さん。

さよなら未来』の編集作業を経たいまは、わたしなどよりずっと、若林さんこそがそう信じ、言葉を紡ぎ、仕事で世界を変えようとしてきたのだと、はっきり言える。

さよなら未来』を読んでくださる方が、若林さんの言葉をそれぞれに受けとめ、自分のなかの、なつかしい子どもに向きあいながら、その先の希望を紡いでくださることを願ってやまない。この本はきっと、さまざまな変化をもたらす力があると信じている。

2000字ぐらいでと言われていたのに、本の実物ができる日を前にこれまでをふりかえっていたら、ほぼ倍の分量になってしまった……。編集者としての若林さんからも、書き手としての若林さんからも、ダメだしされそうな締まりのない文章。ごめんなさい。でも、拙いながら、正直な記録ではあるかな、と。

初めて会った日の別れ際、自分もそうだからわかるけど、編集者は怖いところがある人たちで、人たらしだから、きみの話も話半分にしか聞かないよ」と言われたけど、この文章も、若林さん、話半分にしか読んでくれないのかな。届かないラブレターを書いたようでもあり。でも、思いはすべて、さよなら未来』という本に成就しているので、よいのであった。

2018. 4. 16)